五胡十六国時代

中国史

中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。その各国の攻防を描く 前趙(漢)⑤ 前趙の滅亡

劉曜の即位と石勒の独立 劉聡が死んだあとの政変と内乱をおさめた劉曜が即位し、319年4月長安に遷都し、国号も今まで名乗っていた「漢」から「趙」に変更します。このあと11月に東方で石勒が起こす「趙」の国と区別して、この「趙」を「前趙」と呼びま...
五胡十六国時代

中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。その各国の攻防を描く 成漢①

五胡十六国時代が幕を明けたころ、巴蜀の地に成漢という国が建国されます。 李雄という人物が成都王を称した304年10月から347年まで続いた王朝です。 この李氏の民族は諸説ありますが、巴族(氐族の一種)です。 中原では、永嘉の乱で西晋が滅び、...
中国史

中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。その各国の攻防を描く 成漢②

李雄の巴蜀制覇 李特戦死後、李流を経て、李雄の息子の李雄が勢力を引き継ぎます。 李雄は羅尚を攻めて、成都を制圧し、304年10月に成都王を称します。その後306年6月には皇帝に即位し、国号を「大成」とします。この動きに平行して、李雄は武将の...
中国史

五胡十六国時代の覇権国家、後趙を描く①

五胡十六国時代、前半の覇権国家となった後趙は、羯族の石勒が建国した国です。 この石勒は、五胡十六国時代に現れる数々の人物の中で私が一番好きな人物です。 五胡十六国時代でも1,2を争う傑物と言ってもよいでしょう。 この石勒が建国した後趙という...
中国史

五胡十六国時代の覇権国家、後趙を描く② 石勒の快進撃

劉淵の部将として飛躍 前趙(漢)の劉淵に帰順した石勒は、その部将として動き飛躍していきます。 307年10月、烏桓の張伏利度の部族を帰伏させ手柄をたてます。これにより前趙から輔漢将軍・平晋王の地位を得て、自分で動かせる兵力と前趙内での地位を...
中国史

五胡十六国時代の覇権国家、後趙を描く③ 石勒の華北統一

後趙の建国 石勒が前趙(漢)の部将として、華北東部で勢力を拡大していたころ、前趙内部では、318年7月に劉聡が死亡し、劉粲があとを継ぎ即位します。しかし8月に外戚の靳準が劉粲以下の劉氏をクーデターにより滅ぼし漢天王を自称します。 この政変に...
中国史

五胡十六国時代の覇権国家、後趙を描く④ 後趙の滅亡

石勒死後の後継争い 石勒が331年7月に病死したあと、息子の石弘が即位します。しかし、石弘は生来おとなしい性格であったらしく、石勒の華北制覇に大きく貢献した石虎に頭が上がりませんでした。石虎は自身の軍事力をベースに石弘を廃立し、334年11...
前燕

中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。その各国の攻防を描く ~東北からの疾風、前燕の中原侵攻~① 慕容部と慕容廆の即位

こんにちは。 しばらく五胡十六国時代について書いてなかったので、久しぶりに書きます。 五胡十六国時代のおおまかな流れはこちら 五胡十六国時代を含む、魏晋南北朝時代のおおまかな流れはこちら 前燕 今回は、前燕になります。中国の東北エリアに勃興...
前燕

中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。その各国の攻防を描く ~東北からの疾風、前燕の中原侵攻~② 慕容廆の勢力拡大と中原との接触

こんにちは。 前回、慕容廆が、叔父の慕容耐が討たれたあと、部民たちに迎えられて285年に慕容部の族長に即いたまでを書きました。 今回は、慕容廆が周辺に勢力を広げていく過程を書きたいと思います。 五胡十六国時代のおおまかな流れはこちら 五胡十...
中国史

中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。その各国の攻防を描く ~東北からの疾風、前燕の中原侵攻~③ 慕容廆、中原からの流民を受け入れ国力アップをはかる

こんにちは。 同じ鮮卑で隣の強敵、宇文部との戦いに勝利し、鮮卑大単于を称した慕容廆ですが、このあと、遼東の乱をおさめることによりさらに国力を上げていきます。 五胡十六国時代のおおまかな流れはこちら 五胡十六国時代を含む、魏晋南北朝時代のおお...